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韓国のホップ農家が遠野市を視察/日韓ホップ栽培の歴史と現状とは
韓国・洪川(ホンチョン)郡のホップ農家が、日本最大の生産地からホップを生かした地域づくりや栽培技術を学ぼうと、6月17~19日に遠野市を視察に訪れました。洪川郡では、1989年に安価な海外産の輸入が始まって以来、ホップ栽培は長らく行われていなかったそうです。ただ、10年前に韓国固有品種のホップの株が見つかったことをきっかけに、最近になって生産を再開しました。韓国のホップ栽培の歴史や現状は―。視察に同行し、取材を行いました。
韓国で唯一のホップ産地/洪川郡の栽培の歴史、実情は
視察に訪れたのは、韓国北部の山間地域にある江原特別自治道洪川(ホンチョン)郡のホップ農家と通訳など計9人。ホップの栽培技術に加え、ホップを活用した観光施策やまちづくりを学ぶため、遠野を訪れました。
洪川郡は、韓国北部の農村地帯。冬場はマイナス20度を下回る日もあるといい、遠野と似た気候のようです。かつては韓国の大手ビール会社の契約農地としてホップ栽培が広がったといい、その歴史も、キリンビールの契約栽培から始まった遠野に似ています。洪川郡が大手ビール会社の契約農地だったのは、1980年代のことです。しかし、1989年に農業市場が開放されると、安価な海外産のホップが流入。ビール会社が安価な海外産ホップの使用に切り替え、洪川郡の農家との契約を打ち切ったため、長らく栽培が途絶えていました。栽培の規模は定かではありませんが、世界各国のホップ栽培の歴史を記した「THE HOP ATLAS」(1994年、Joh.Barth&Sohn)には、韓国全土のホップ栽培面積は、1976年の150ヘクタールから、数年で500ヘクタールまで拡大したものの、その後に再び約100ヘクタールまで縮小したことが記されています。
しかし、洪川郡では2014年ごろ、今回の視察にも参加したヨン・チョンフンさんが、地域に自生しているホップの株を発見。このホップが韓国固有品種だと判明し、2015年から古い資料を参考に栽培方法を模索し、試験的に育ててきました。本格的に栽培を再開して3年目を迎える現在は、30代~80代の生産者9人で営農組合を結成し、共同で約500坪の畑で栽培しているそうです。組合員は、地元でトマトなどの野菜を育てていた農家が中心ですが、中には「自分でホップを育ててクラフトビールを作りたい」と志して移住した35歳の男性もいます。
ただ、若いホップは収量が少ないこともあり、今はまだビール造りには使われていません。主な用途は安眠効果をうたうサプリメントや美容用クリームなどの原料です。将来的にはビールの原料として出荷する目標があり、その手始めとして今秋、洪川郡産のホップを使用したビールの発売を目指しているそうです。洪川郡のホップ栽培は、韓国政府の農村活性化支援事業にも採択され、その支援事業の一環で遠野の視察に訪れました。インターネットで、ホップの栽培面積が日本一の遠野市を知り、ホップを活用した地域づくりにも関心を持ったようです。
遠野市と重なるホップ栽培の盛衰
実は、1963年にキリンビールの契約農地としてホップ栽培が始まった遠野市も、90年代には安価な海外産ホップの輸入が増え、大きく生産量を減らしました。1987年には229トンを生産し、初めて日本一となりましたが、2023年の生産量はそのわずか1割の22トンまで落ち込みました。
ただ、大手ビール会社との契約を打ち切られた洪川郡と違い、遠野ではキリンビールが契約栽培を維持したため、農家の高齢化などで生産者が減る中でも、栽培の知見が今日まで受け継がれてきました。さらに近年はホップの香りに注目が集まり、日本産ホップへの関心が高まっています。
2004年にキリンビールが「遠野産ホップ使用」とパッケージに明記した「一番搾りとれたてホップ生ビール」を発売すると、ホップの産地として遠野の知名度が向上。2015年以降は「ホップの里からビールの里へ」のスローガンを掲げ、遠野市やキリンビール、JR東日本盛岡支社などが連携し、遠野ホップ収穫祭を開催し、ホップやビールを使った観光施策やまちづくりを進めています。就農フェアや地域おこし協力隊制度を活用し、就農体験イベントなどの新規就農者を増やす取り組みにも力を入れています。こうした取り組みが奏功し、遠野市では少しずつ新規就農者が増え始めており、新規就農者によるホップ生産量が市内のホップ生産量の3分の1以上を占めるまでになりました。
ホップで地域づくり、遠野市の「ビールの里」構想に韓国も関心
今回、視察の案内役を務めたのは、遠野市の「ビールの里」構想をプロデュースし、農家の受け入れを調整している株式会社Brew Good(遠野市)です。最初の講義では、Brew Goodの田村淳一代表が遠野のホップ栽培の歴史やキリンビールとの関係、「ビールの里」としてまちづくりを進める遠野の取り組みを紹介しました。
遠野では、遠野市やキリンビール、JR東日本盛岡支社、ホップ農家、市内でクラフトビールを醸造する上閉伊酒造や遠野醸造、Brew Goodなどのメンバーが定期的に会合で情報共有しながら、足取りを合わせてイベントや観光施策などを進めています。この説明を聞いた韓国の農家からは「農業以外の分野の企業が協力する仕組みが印象的だ。鉄道会社などが参加する仕組みをどのようにつくったのか」などの質問が相次ぎました。
田村代表は「ホップで遠野を活性化する目的でTKプロジェクトという組織をつくり、様々な関係団体に参加してもらっている。鉄道会社も、地域を活性化することで交流人口を増やそうと考えており、ホップを使ったまちづくりの趣旨にも賛同してくれている」と答えていました。
世界的に著名なホップ博士で、マスカットやイチジクのような香りで知られる新品種「ムラカミセブン」を開発した村上敦司さんも講師として参加。「肥料を与える際は、葉が茂りすぎないように注意する必要がある。葉が茂りすぎると、日光が遮られ、病気の原因になり、毬花も大きくならないからです」。収量を増やすための栽培技術や病虫対策、肥料や農薬の種類や与え方など、ホップ栽培のポイントを惜しげもなく説明しました。韓国の農家は「品種改良で重視すべきことは」「気候の違いで、肥料の与え方は変わるか」「温暖化で気を付けるべきことは」などと質問を重ね、熱心にメモを取っていました。
V字の日本とI字の韓国/日本独自の栽培技術「つる下げ」、実は韓国でも
視察団はその後、実際に遠野市内のホップ畑を見学しました。遠野では、高さ約5・5mの棚からV字につるした糸に沿わせてホップの蔓を伸ばします。
「韓国のホップ畑も似ているが、日本のV字と違って、韓国ではI字につるを伸ばしている。韓国でもかつて、土壌が良い畑でV字に伸ばしていたので、日本の方が土壌が良さそうだ」、「土を盛る畝は韓国では作っていないので、参考にしたい」などの感想が韓国の農家から上がりました。
遠野で主に栽培されている「キリン2号」などの品種では、一定の高さより上にしかホップの毬花が実りません。そこで収穫量を増やす目的で、高く伸びたつるを成長途中の段階で一度下げる作業「つる下げ」が行われています。韓国の農家は「韓国でも日本と同じようにつる下げをしている。全体的に栽培方法は似ているが、日本の技術はより洗練されていて、畑もきれいに整理されていて参考になった」と話していました。
村上さんは「つる下げは、欧米にはない独自の作業だ。韓国でも行われているということは、歴史的に日本と何らかの関係があったのかもしれない。日本のビールメーカーが昔、韓国でホップ栽培を指導したという話も聞いたことがある」と話していました。
遠野の多くの農家では、高所の側枝を切るため、長い柄が付いた回転刃のカッターを手作りして使っていることも紹介。韓国の農家は「私たちは古い資料を参考に栽培してきたので、栽培技術は80年代からほとんど進化していない。高所のカッターは韓国にはないので、参考にしたい」と話していました。
ホップの巨大乾燥施設を視察/課題の修繕費用募る策も紹介
1976年に建てられた、日本最大のホップ乾燥施設「上郷ホップ収穫センター」も案内しました。収穫したホップを毬花とその他の部分に分け、品質の良い毬花を選別して、乾燥、梱包、出荷までの作業を行う設備です。
今は収穫期ではないため、施設は稼働していません。それでも、視察団は巨大な乾燥設備に驚き、「誰の出資で建てたのか」などの質問が相次ぎました。
案内した日本のホップ農家は「建設時はホップ農家が増えている時代だったので、国の支援があった。ただ、今は農家が減る時代なので、修繕に国の補助金は期待できない。修繕費用は高額だが、負担できる農家の数も減っているので、ふるさと納税制度の寄付金を活用している」と説明していました。施設は老朽化が進み、修繕が欠かせません。段階的な修繕が計画されており、実際に2023年度には寄付金を使って最初の工事が完了しました。
日韓のホップ産業の未来へ
一連の視察行程の最後には、遠野市内の居酒屋で、日韓のホップ農家とBrewGoodの田村代表による懇親会が開かれました。遠野産ホップが使われたビールで乾杯すると、韓国の農家は「洪川郡のホップ畑で写真撮影会やリースづくりなどを行っている」と観光利用の取り組みを紹介し、「将来的にホップのテーマパークの設立を予定している」と構想も披露しました。今回の視察を受け、「ホップは将来性がありそうなので先取りしたい。日本の繊細な栽培技術をまねして生産量を増やしていきたい」や「農家以外のいろんな人や会社が関わって発展していることに感心した。韓国でもいろんな企業を巻き込んで、ツーリズムを発展させる方法を参考にしたい」と話していました。
実は、遠野ではズモナビール、遠野醸造に続く3つ目のビール醸造所を設立する動きがあり、今も地元産ホップを使ったビールを楽しめる街として発展を続けています。田村代表は「私が遠野に来た8年前は、まだ日本産ホップは注目されていなかった。でも今は、日本産ホップを使いたいという声が多くなり、ホップ産業が盛り上がっている。だから、韓国のホップ産業にも未来があるはずだ」と激励していました。
最後は韓国側から「今度は韓国に来てほしい。私たちのホップを使ったビールが秋に発売予定なので、飲んでほしい」と熱い招待も。日韓のホップ産業は、今後も交流を続け、ともに発展していきます。
◎書いた人
豊田直也
1987年生まれ、JICA海外協力隊候補生。海外協力隊で南米・ボリビアに赴任するため、2024年5月から中日新聞社を休職。派遣前の実習プログラムで岩手県遠野市に滞在し、株式会社BrewGoodでホップを使ったまちづくりを学んでいます。
今回の視察をコーディネートした株式会社BrewGoodでは、ビールの里構想の具体化や新たな産業の創出に取組む新しい仲間を募集しています。詳しくは下記の記事をご確認ください。
2024年度_農業と地域のプロデューサー募集【地域おこし協力隊】
61年目が大事だ。ホップ生産地・遠野の次なる挑戦。
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